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entry.1 2003年4月7日 川上、東吉野 2 丹生川上神社中社
川上村から、車で東吉野方面へと走り丹生川上神社中社へ向かった。ちなみに、神社の前の川の水はものすごく美しかった。神社自体は特に惹かれることもなかったけれど。1.鳥居2.社殿3.それがし★丹生川上神社★ 奈良県吉野郡東吉野村大字小968・延喜式内社丹生川上大社、名神大社。・二十二社下八社の一。・旧社格は官幣大社。・本来の祭神は、丹生川上神(『六国史』)。古来朝野の祈止雨祈願がしばしば行われ、雨を司る水神であったので、これを記紀神話に見える罔象女神や!)神に充てるようになった。平安時代初め頃から「雨師神」とも称されるようになった。・現在は、本殿に罔象女神を祀り、相殿に伊邪奈岐命、伊邪奈美命を祀る。東殿に大日!)貴命、八意思兼命、誉田別命、西殿に開化天皇、上筒男神、大国主命、事代主命、綿津見神、菅原道真を祀る。・大正十一年(1922)までは大穴貴神、表筒男命、伊邪奈伎命を祭神としていた。・社伝に因れば、鎮座地は神武天皇が天神の教示によって天神地祇を祀り、戦勝を占った地とされ、白鳳四年(675)に罔象女神を御手濯川(高見川)南岸の現摂社丹生神社の地に奉斎し、その後現在地に遷座したものと伝える。実際のところは、この地は、宇陀市榛原区雨師鎮座の式内丹生神社の地であるとされている。・寛平七年(895)の太政官符(『類聚三代格』所収)には、当時の丹生川上神社の祝や禰宜の解を引き、『名神本紀』という書に「『人声の聞こえない深山で我を祀れば、天下のために甘雨を降らし霖雨を止めよう』との神託により創祀した」との伝えがあることを記す。・慶安三年(1650)の造営の上梁文には、当初の鎮座地に丹生神社を新造するとともに、本社を金剛峯寺の鎮守神に倣って「蟻通明神」と改称した旨が記されている。・中世以来安土桃山時代まで小川氏が神主職を襲い、また別当寺院として金剛峯寺末寺の摩尼山大乗院が奉仕した。■丹生川上神社■ 上社 吉野郡川上村字宮の平 中社 吉野郡東吉野村小 下社 吉野郡下市町長谷・延喜式内社丹生川上神社、名神大社の論社が三社あり、明治政府により、色々な経緯があり上、中、下社とされた。・延喜式神名帳によると、雨師社と号されたとある。・卜部兼倶撰といわれる『二十二社注式』に、人皇第四十代天武天皇白鳳四年(675)に創建とある。・仁安二年(1167)、大倭歳繁が国衙の命で注進した『大倭神社注進状』によると、丹生川上の神に奉幣のとき、大和神社の神主が勅使に随行すると『延喜式』に定められているのは、大和神社の別宮であるから、とされており、実際、吉田兼倶撰といわれる『二十二社注式』には、天武天皇の白鳳乙亥(四)年 (675)に垂迹し、大和神社の別宮になったと記される。・大和神社末社雨師明神(現高!)神社)のタカクラオカミを移した社と伝承も残る。・丹生川上神社下社の社前を流れる丹生川は芳野水分峯に源を発し、その水域には古代寺院の堂原寺跡や丹生川上の雨師神を祀る大日川の丹生神社、宇智の式内社丹生川神社などの諸社が点在している。これが、下社を式内社丹生川上神社とする有力な根拠の一つとなる。・丹生川上神社の所在について、林羅山は『本朝神社考』にて、所在不明としているが、白井宗因が『神社啓蒙』『神社便覧』において「下市之傍山中丹生村」にあるとして以来、『大和志』、度会延経の『神名帳考証』などの諸書すべてが現在の下社に否定し、これにより明治四年(1871)、式内社として官幣大社に列した。・『類聚三代格』寛平七年(895)の太政官符が大和國丹生川上雨師神社界地の禁制の事として、社地の「東限を塩匂、西限は板波滝、南限は大山峯、北限は猪鼻滝」としていることから、明治七年(1874)、現下社の少宮司江藤正澄は同社がこの四至に合致しないと称し、北限の猪鼻滝は小川郷内萩原村の滝であると説き、川上村迫所在の神社を式内社に比定、下社を口の宮、後者を奥の宮とした。明治二十九年(1896)、内務大臣告示にて口の宮が下社、奥の宮を上社とし、上社も官幣大社に列した。・大正四年(1915)、森口奈良吉は『丹生川上神社考』を著し、太政官符の四至の東限塩匂が大豆生の塩和田、西限板波滝が小川村と国栖村との境界付近のイトサミの転訛、南限大山峯は小川村と川上村境界にある南方の峯、北限猪鼻滝は小川村萩原下と考証し、新たに小川村の蟻通神社を式内社に比定した。さらに傍証とし、同社の祭神木造が藤原期初期のものである事、丹生社銘を持つ弘長三年(1263)の石燈籠があること、『春日大社文書』の宇陀郡田地帳に「雨師庄、田五町、吉野郡小河雨師明神領」とあること、前出の太政官符にいう、供御にことよせてたびたび神地を汚し崇りを受けた「国栖戸百姓並浪人」の住地に近接していることを挙げ、内務省考証官の実地調査を求めた。その結果、認められた。・大正十一年(1922)、蟻通神社が内務省告示により丹生川上神社中社とし、官幣大社に列され、同時に祭神増加の形で上、中、下三社を合一、中社を中心的神社と定め、社務所を置いた。・丹生川上神社への祈雨、止雨の奉幣遣使の記録は室町期以後、衰退し、ついに社地の所在不明とまでなった。◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆(足跡)丹生川上神社上社 → 丹生川上神社中社 → 天誅組墓所 → 岩神神社
2003年4月7日 川上、東吉野 2 丹生川上神社中社
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