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entry.1 硫黄島の日本軍全滅
硫黄島の日本軍全滅1945年03月17日 硫黄島の海岸に向かう上陸用舟艇。向こうは摺鉢山1945年2月19日 硫黄島 硫黄採掘坑から投降した日本兵1945年3月7日 硫黄島栗林忠道中将が率いる硫黄島の守備隊が全滅した。米海兵師団6万1000人は日本本土へ侵攻するための基地確保を目的として1945年2月19日に硫黄島に上陸。日本軍は補給がうけられないまま、約1カ月間戦い続けたが、全員が玉砕した。日本軍の戦死者は2万3000人、米軍の死傷者も約2万9000人にのぼった。米軍は2週間後の4月1日、沖縄本島へも上陸した。米軍が沖縄本島に上陸1945年04月01日 中部西海岸に向かう米軍水陸両用戦車=米国立公文書館提供1945年4月1日 沖縄 沖縄本島上陸を前に慶良間列島に上陸。石垣に隠れて進撃する米兵=米国立公文書館提供1945年3月26日 沖縄・慶良間列島・慶留間島 海兵隊員が差し出すキャンデーを受ける老婦人1945年4月1日 沖縄・沖縄本島米軍が沖縄上陸作戦を開始、沖縄本島中部の嘉手納海岸に上陸した。作戦に参加した兵は約50万人、うち上陸兵は18万3000人。これに対し日本軍の沖縄守備隊は、現地召集の防衛隊と学徒隊2万人を加えた12万人ほど。3カ月間におよぶ日本国内唯一の地上戦が展開されたが、6月23日、牛島満司令官が自決し、守備隊は全滅した。日本軍の死者は約9万人、一般住民約10万人が犠牲になった。小磯国昭内閣総辞職、鈴木貫太郎内閣成立1945年04月05日 発足した鈴木貫太郎内閣の顔ぶれ1945年4月7日 東京・首相官邸 首相に就任した鈴木貫太郎 1945年4月 東京 鈴木貫太郎内閣の組閣本部は小石川の民家に置かれた1945年4月7日 東京・小石川アメリカ軍に沖縄本島に上陸され、本土空襲が激しくなったにもかかわらず有効な戦局打開策を打ち出せなかった小磯国昭内閣が総辞職。枢密院議長の鈴木貫太郎が後継内閣を組閣した。鈴木内閣は6月に、全国民を国民義勇隊に編成して「一億玉砕」の戦いを叫ぶ一方で、ソ連を仲介役とする終戦工作を図ったものの失敗。7月26日のポツダム宣言に対しても当初は黙殺したが、その後、急速な情勢悪化に直面し受諾を決定した。戦艦「大和」撃沈1945年04月07日 史上最大の戦艦・全長263m、7万2809t 1941年 瀬戸内海 米艦載機の攻撃を受ける戦艦大和1945年4月7日 鹿児島・徳之島西方沖の東シナ海 米艦載機の攻撃を受け、黒煙をあげる戦艦大和1945年4月7日 鹿児島・徳之島西方沖の東シナ海連合軍の沖縄本島攻撃に対して特攻艦隊旗艦として出撃した戦艦「大和」が鹿児島県徳之島西方で米艦載機の攻撃を受け、沈没した。乗組員2489人が戦死、行方不明になり、生存者は276人。大和は1941年12月に呉海軍工廠で完工。全長263m、排水量6.8万tという史上最大の戦艦。マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦に参戦、レイテでは46センチ主砲が米駆逐艦を撃沈した。日本海軍の大艦巨砲主義の象徴だったが、空軍力の前では時代遅れだった。広島に原爆投下1945年08月06日 原爆投下後、広島上空に発生した原爆のキノコ雲=米国立公文書館提供1945年8月6日 広島 爆心地から2.3キロにある、御幸橋西詰で横たわる負傷者たち=松重美人さん撮影1945年8月6日 広島・広島午前8時15分、B29爆撃機「エノラ・ゲイ」から原子爆弾が投下され、広島市の7万6000戸の建物の90%以上が一瞬のうちに破壊された。年末までの死者約15万人。生き残った市民も長く後遺症に苦しむ。米国は日本の抗戦への意思を打ち砕くために原爆投下を決断し、9日には長崎にも投下した。ソ連が対日宣戦布告1945年08月08日 チャーチル英首相、ルーズベルト米大統領、スターリン・ソ連首相が出席してヨーロッパの戦後処理を決定したヤルタ会談。ソ連は対日参戦を決めた 1945年2月 ソ連・ヤルタ 国境を越え満州に侵攻するソ連戦車1945年8月9日 満州 ソ連軍に武装解除される関東軍 1945年8月 満州・奉天ソ連が日本に宣戦を布告、満州(中国東北部)や朝鮮などに進撃した。日本とソ連は1941年4月、中立条約に調印して太平洋戦争ぼっ発以降も中立関係を維持した。しかし、45年2月のヤルタ会談で、ソ連は対日参戦することをアメリカとイギリスに確約、条約を一方的に破棄した。ソ連の参戦により満州の日本開拓民約8万3000人が死亡、数千の子供が「孤児」として大陸に残された。原爆で負傷した少女1945年08月08日 飛び散ったガラスなどの破片で負傷した少女1945年8月9日 広島・中区流川通り広島市内では原爆で一瞬のうちに両親、家族を失い孤児となった少年・少女が数多く出た。このため広島市は8月10日、急きょ市内の比治山国民学校に戦災孤児収容保育所を設置した(翌1946年2月10日、広島戦災児育成所として統合)。長崎に原爆投下1945年08月09日 原爆投下20分後、13キロ離れた香焼島川南工業造船所から見た長崎1945年8月9日 頭に包帯をしてはだしで焼け跡を歩く3歳の幼女。爆心地の浦上地区では70年間不毛説が伝えられた1945年9月29日 長崎・長崎浦上地区広島に続き長崎にも原爆が投下された。爆心は同市松山町のテニスコート上空で、年末までの死者7万4000人、負傷者7万5000人。市内の約3分の1が壊滅的な被害を受けた。爆心地から約500mの浦上天主堂も崩れ、三菱重工長崎造船所や三菱兵器製作所が崩壊した。...
硫黄島の日本軍全滅
entry.2 行政権は。。。
行政権は、内閣に属していますが。。。では、内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決したときは、何日以内に衆議院を解散されないと、総辞職しないといけないの?
行政権は。。。
entry.3 生駒市議・小笠浩樹議員の自宅に無双軍団が怒りの 突撃(不謹慎ですが超面白い動画)
今日の動画は超超超面白いですそこら辺のお笑い番組より話にならないくらい面白いですとくに〜までを観てください。期待は裏切りません。ニコニコとyoutubeをアップしました↓↓(ニコニコ編)3月3日 西村修平 午前の部 生駒市議会は慰安婦決議を撤回せよ 宝山寺=生駒市の風俗街こちら!)平成の雷親父こちら !)公務員が売春婦ビジネス。西村無双と特攻隊、小笹浩樹議員と話し合うため生駒市役所に突入こちら!)居留守を使う小笠議員を探し回る無双軍団。 あるDoorを開けると私達の税金で高級お弁当を平らげている井上清&角田晃一議員が。 無双軍団の質問に答えず、ひたすら無視し続ける。こちら !)街宣王子の素晴らしき流し街宣w聞き惚れてまうやろっこの人の流し街宣が超面白いこちら!)まだまだ続く街宣王子の流し街宣み〜んな知っている、売国奴・小笹浩樹こちら!)小笹浩樹議員が市役所にいなかったので自宅まで行っちゃいました。こちら!)自宅へ抗議文をお届け&小笠浩樹議員を丁寧にお呼び出し。 「パチンコ屋に行ってるんですか」「宝山寺の売春宿に行ってるんですか」 こちら!)team関西・総指揮官である西村斉メンチに激怒の巻 こちら!)こちら(youtube編)携帯の方も画像をClickすれば動画が観れます↓(1/5)生駒市の恥・売国議員は総辞職せよ!(2/5)生駒市の恥・売国議員は総辞職せよ!(3/5)生駒市の恥・売国議員は総辞職せよ!(4/5)生駒市の恥・売国議員は総辞職せよ!(5/5)生駒市の恥・売国議員は総辞職せよ!
生駒市議・小笠浩樹議員の自宅に無双軍団が怒りの 突撃(不謹慎ですが超面白い動画)
entry.4 普天間基地移設問題が挫折したときに行うのは総辞職ではなく、衆議院の解散
私は、連立政権の一角を占めている社民党は、予算が成立したら参議院選挙に向けて独自路線を強めるはずだから、4月早々には連立から外れると見ている。社民党の衆議院議員にとっては連立政権に入っていようがいまいがあまり関係ないから、社民党執行部としてはもっぱら7月の参議院選挙のことを考えなければならない。民主党のツートップの政治資金規正法違反や脱税疑惑を追及できないような中途半端な状態にいつまでもいることはできないはずだ。社民党は、野党だから存在価値がある。政権政党に対するまっとうな批判が出来る存在だからこそ、小粒でも光ってくる。共産党や民主党ににどんどん自分の支持基盤を食い破られている状況にいつまでも我慢できないはずだ。社民党が現在の連立政権から外れたら、日本は少しだけ風通しが良くなる。社民党の反対は反対として、民主党は思い切った政策の実行に踏み切れるようになるはずだ。一番の課題は、普天間基地移設問題である。これは何とかしたい。私は、もはや辺野古沖は不可能になったと考えている。政権交代が起きた以上、如何にアメリカとの約束でも守れなくなったものは守れない、と頭を下げるしかない。日米同盟の根幹に関わることであるが、国民が民主党政権に国政を委ねたのだから、ここは民意を尊重するしかない。鳩山総理はオバマ大統領に対して、トラストミーと言ったようだが、5月末までに普天間基地移設問題が決着する見込みは少ない。なにより沖縄が納得しないだろう。閣外に去る社民党の反対を押し切って、国民新党の内陸案を基礎に民主党、国民新党だけで決めれるか、と言えば、これも簡単なことではない。中途半端な解決策でアメリカが納得する状況でもない。この問題の解決は、参議院選挙が終り、新たな政権が誕生した後でなければ、ほぼ不可能である。鳩山総理は、相当の覚悟を持って普天間基地移設問題に取り組む、と繰り返し言明しており、5月末までに解決できなければ総理大臣を辞職することを示唆している。総理のこの覚悟を受け止めたいところだが、しかし、アイ トラスト ユーとは行かない。普天間基地移設問題は、一内閣の問題ではない。まさに日本の国の安全保障の根幹に関わる問題であり、今後の日本の命運を左右するような問題である。辺野古沖への移設を断念するとしたら、さてどうするか、ということは、私たち日本国民が改めて知恵を絞って決めていかなければならない大事な問題である。普天間基地の継続使用も、私は不可能になっていると考えている。普天間基地を当面使用しないこととして、それではアメリカの海兵隊にどこを提供するのか、あるいは提供しないのか、ということを考えていかなければならない。普天間基地をアメリカに提供しないという選択は、日米の同盟関係の大変な変容になる。日米安全保障体制が日本のみならず極東の安全保障に直結しているということを考えれば、日米同盟関係の変容で日本や極東の安全保障体制に大きな空隙が生じるということである。この空隙を誰がどうやって補うか、という問題になる。アメリカには少しずつ退いてもらうことにして、その実効性はさておき、日本の自衛隊がその穴を埋めることにする、という選択もあるだろう。自衛隊がいずれは国防軍になり、国連軍の一部になる、という道に繋がる話だ。しかし、私は、これには反対である。戦争に再び日本の若者が捉えられていくような道は、何としても避けなければならない。普天間基地問題にはこうした大事な問題が内在している。こうした大事な問題に蓋をしたまま、今の国会議員の間でズルズルと中途半端な決断をされ、結果的に日本の国民を危機に晒すようなことになっては困る。鳩山内閣が総辞職をして、民主党の中で政権の盥回しのようなことが行われても困る。普天間基地移設問題の決着が出来ないときに鳩山総理が行うべきなのは、内閣の総辞職ではなく、衆議院の解散である。そのくらい大事な問題である。鳩山総理は、決死の覚悟で普天間基地移設問題に取り組んで欲しい。
普天間基地移設問題が挫折したときに行うのは総辞職ではなく、衆議院の解散
entry.5 逃げ回る生駒市議会議員
生駒市議会の恥晒しに怒りの抗議!生駒市の恥・売国議員は総辞職せよ!!)生駒市の恥・売国議員は総辞職せよ!!)生駒市の恥・売国議員は総辞職せよ!!)生駒市の恥・売国議員は総辞職せよ!!)奈良県は生駒市議会にて「慰安婦意見書」を採択に導いた反日の首謀者である小笹〇樹市議。『主権回復を目指す会』の西村代表とチーム関西が逃げ回る市議の自宅に押しかけ徹底糾弾ですぅ!
逃げ回る生駒市議会議員
entry.6 朝パスタ
昨日の夜ごはんはプリンセスと家ごはん・えびとクレソンと水菜のサラダ・鶏肉ときのことピーマンのトマト煮込み・蒸し鶏の胡麻ソース・巻き寿司・白ワインを1本開けました今朝は昨夜の巻き寿司の余りと・スモークサーモンとしめじ・舞茸のスパゲッティー朝からビール飲んじゃいました国土交通大臣前原氏が責任問題になり、鳩山総理から口頭注意されてましたね今の独裁政党民主党と負けても危機感なく昔ながらの舵取りしかできず浮上できない最大野党の自民党早く…自民党の有志と民主党の有志そしてみんなの党や公明党の有志も旗を掲げて日本のために庶民のために新党を立ち上げてほしいですね現政権は早く責任をとり総辞職・衆院参院解散するべきです国民に真意を問うべきです
朝パスタ
entry.7 【政論】夫婦別姓 3分の2が違和感…子供の視点を(産経新聞)
夫婦別姓推進の論理には、当事者である子供の視点が決定的に欠けている。 民間団体が平成13年に中高生を対象に実施した調査では、両親が別姓となったら「嫌だと思う」(41・6%)と「変な感じがする」(24・8%)が合わせてほぼ3分の2に達している。一方、「うれしい」は2・2%しかいなかった。 また、夫婦が別姓を選択した場合、子供は自動的に片方の親とは別姓となる。ことは夫婦のあり方だけの問題ではないのだ。 ただでさえ、家族の絆(きずな)が弱まっているとされており、「あえて家族をバラバラにしていくようなことはすべきでない」(国民新党の亀井静香代表)との主張はむしろ当然だと言える。 夫婦別姓推進の理由について、民主党の「政策INDEX2009」はまず、「仕事上の事情から結婚前の姓を名乗り続けたい」という例を挙げている。 現在では結婚による改姓後も職場では旧姓を「通称」として使用する人は少なくなく、社会的理解も高まっている。その一人、自民党の高市早苗衆院議員は「不自由は基本的にない」と明言する。 また、夫婦別姓の背景には、連合国軍総司令部(GHQ)が日本弱体化を狙って進めた「家制度」破壊の残滓(ざんし)が見てとれる。「フェミニストたちが、結婚制度を破壊するために始めた運動だ」(米ヘリテージ財団研究員)との指摘もある。 ちなみに政権内で夫婦別姓に特に熱心な福島瑞穂消費者・少子化担当相は入籍しない「事実婚」で夫婦別姓を実践している。 この夫婦別姓法案に永住外国人への地方参政権付与法案、人権侵害救済法案(旧人権擁護法案)を加えた3法案は、与野党の保守系議員から「日本解体3法案」と呼ばれる。 3法案は、いずれも日本社会や家族のあり方を根本的に変えかねない。また、根っこの部分で相互につながっており、負の相乗効果が懸念されているからだ。 「まさに日本解体を目指しているのではないか」 自民党の義家弘介氏は昨年11月10日の参院予算委員会で、鳩山政権が検討・推進中のこれらの法案についてこう重い問いを投げかけている。(阿比留瑠比) 【関連記事】 ・ 夫婦別姓制度に突進する鳩山政権 与党内には強い異論も… ・ 選択的夫婦別姓「絶対に反対」 亀井代表、改めて表明 ・ 選択的夫婦別姓は「悪影響」 議員連盟「創生『日本』」 ・ 首相発言「大きな後押し」 夫婦別姓で法相 ・ 鳩山首相、選択的夫婦別姓「私は賛成」 ・ パワーレンジャー・ダイノサンダー・ 日精協の鮫島会長、3期目満了で退任へ(医療介護CBニュース)・ <町田市長選>石阪氏が再選 東京(毎日新聞)・ 濃霧で欠航相次ぐ=80便以上に影響−羽田空港(時事通信)・ <訃報>平野忠昭さん68歳=元宇部興産専務(毎日新聞)
【政論】夫婦別姓 3分の2が違和感…子供の視点を(産経新聞)
entry.8 総辞職
内閣が総辞職した、などというとき、en masse というラテン語が使われます。集団で、大挙して、一斉に、たもとを連ねて、そろって、というフランス語。masseはmass カタマリ、の意味。総辞職 resignation en masseというように使われます。
総辞職
entry.9 【選挙】 衆参同日選の可能性に関して自民党の谷垣禎一総裁「視野に入れる必要がある」 伊勢神宮を参...
★総辞職、解散に追い込む=自民・谷垣総裁 自民党の谷垣禎一総裁は4日午前、三重県伊勢市の伊勢神宮を参拝した。 その後記者会見し、通常国会への対応について「政治とカネの問題などをみると、 内閣の総辞職あるいは(衆院)解散で国民の信を問うところまで 求めていかなければならない」と述べ、鳩山由紀夫首相の偽装献金事件などを 徹底的に追及していく方針を示した。 衆参同日選の可能性に関しては「視野に入れる必要がある」と述べた。 天皇陛下と習近平中国国家副主席との特例会見については 「天皇と政治の関係での配慮が極めて足りない。大変遺憾で問題だ」と改めて批判した。 時事通信
【選挙】 衆参同日選の可能性に関して自民党の谷垣禎一総裁「視野に入れる必要がある」 伊勢神宮を参...
entry.10 “黄門様”が小沢&首相を一刀両断 辞任の薦めも!?
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20100223/plt1002231625008-n2.htm民主党の「黄門様」で知られる渡部恒三元衆院副議長が夕刊フジのインタビューに応じ、鳩山政権や小沢一郎幹事長が牛耳る党運営に加え、焦点の「政治とカネ」について激白した。長崎県など地方選連敗で再燃した小沢氏の進退問題にも直言。“反省せよ、小沢君”と言わんばかりに猛省を促した。 −−鳩山政権発足から5カ月余り。長崎知事選などで敗けるなど「政治とカネ」が直撃。民主党内では小沢一郎幹事長の辞任論が再燃している。 「(事件で)起訴になれば『辞めろ』というつもりだった。俺も民主党の国会議員だから、はっきりいえないんだな。そこが難しいところだ。やはり国民の世論を民主党は大事にしなくちゃなんない」 「(地方選の敗北は)厳しく反省しなくちゃいけないけれども、これで小沢君は辞任なんかしないな。神様がちょっと驕り高ぶっている党執行部に厳しい反省を求めた結果と受け止めて、少しでも小沢君に謙虚な姿勢が出てくれば、民主党は立ち直ることができる。小沢君が謙虚に反省するかどうかだ」 −−世論は小沢氏の説明責任も求めている。 「民主政治だから、説明する必要があるに決まっている。ただ、小沢君でも今夏の参院選に勝てそうなときに、なにも俺が口出しをする必要はない。『小沢君では勝てない』というときだけだ、俺が憎まれ役をやんなくちゃいけないのは」 −−「辞任すべき」とする世論の数字が参院選目前でも高ければ、幹事長辞任も含めて黄門様の切り札“印籠”を出す、いわば引導を渡すこともあるか 「わからない。国民世論次第だ。そもそも今夏の参院選は自民党がつぶれる状況だから、(小沢氏が)辞めようと辞めなくても民主党は勝つ。心配なのは国民の政治不信だ」 −−小沢氏の「知恵袋」で側近の平野貞夫元参院議員が一部報道で渡部氏を痛烈に批判している 「(平野氏は)15年間ぐらい俺の悪口を言い続けている。指摘は的外れで別に、言うほどのことでもない」 −−小沢氏から離れていく側近議員も多い 「小沢君が5足す5は10といえばなんでもない。時々、5足す5は15という。その際、側近が『先生、10です』と言った瞬間に、関係が切れちゃう。それで30人ぐらい消されたかな。その中で、初当選から小沢君と付き合って40年余り、仲良くなったり仲が悪くなったりしながら、まだ(政治的に)生きているのは俺1人なんだな」 −−鳩山首相に関しては? 「首相は幸せな男だ。母親から月1500万円ずつもらっても、本人は気がつかないってのはあり得るか? それでも国民は、収賄的なカネではなく親のカネ、これまでとは違うとみてくれている」 「それに、今の自民党が野党としての存在感がない。55年体制当時なら野党の追及でとっくに総辞職になっている。もうひとつ、首相は嫌われない。むしろ国民は人柄のいい、かわいそうな感じで受け止めている」 −−「首相の後ろにおっかない舅(小沢氏)がいる。かわいそうだ」と首相のリーダーシップ不足を皮肉ったこともあるが 「『小沢氏は国会で説明すべきだ』などと首相は最近、本音を言うときがある。舅離れしようという意欲はみえるけど、まだ中途半端だ。幹事長は部下なんだから堂々とやればいい。ただ、首相はもともと育ちがよくて、リーダーシップなんて生まれたときからなかったんだな」 −−岡田克也外相ら「民主党の七奉行」の評価は 「党内には中堅・若手に優秀な人材がいる。政治家たらんとする志を持っている。自民党と違う。七奉行が有名だが、新七奉行をつくってもいいような人材がたくさんいる」 −−「反小沢」勢力を囲う印象も与える 「別に『親』とか『反』ではない。小沢君にごますっているやつと、ごますらねーやつとの違いだ。(七奉行らは)自分で資金もなんとかなるし、選挙も心配ないから小沢君にごまする必要がない。自立している。そんな人材を育てるのが俺の最後の仕事で、生きがいでもあるんだな」
“黄門様”が小沢&首相を一刀両断 辞任の薦めも!?
entry.11 自民党は徹底抗戦を貫け
自民党が審議拒否をしているのをとやかくいう識者がいるけど、それっておかしくない。民主党の大長老である渡部恒三あたりからも、「野党としての存在感がない。55年体制当時なら野党の追及でとっくに総辞職になっている」と馬鹿にされているんだから、断固戦わないと、本当に舐めらるよ。それに国民の多くは鳩山首相が嘘を付いているのを、薄々感じているし。小沢一郎幹事長についても、ゼネコンから裏金をもらっていたと思っているよ。いくら国民を騙そうとしたって、それは土台無理でしょう。しかし、どうしようもないのは公明党だよね。政治と金をめぐる問題については、徹底して追及すればいいのに、最初から腰砕け。外国人の地方参政権という餌を小沢がぶら下げているから、裏では鳩山政権に擦り寄っているんではないの。みっともないよね。共産党ももう一つパッとしない。街頭に繰り出して体を張ればいいのに。それもしないで、「建設的野党」とは恐れ入ったよ。そうなると、最後に残った唯一の野党というのは、自民党しかいないんだよね。このままでは、鳩山政権によって、国が解体されかねないんで、もはや徹底抗戦しかないよ。自民党が安易に妥協すれば、日本はもう日本でなくなるわけだから。 にほんブログ村
自民党は徹底抗戦を貫け
entry.12 半藤一利「昭和史1926->1945」(2)
前回に続き、半藤一利著「昭和史 1926-1945 (平凡社ライブラリー)」の2回目です。日華事変(日中戦争)の続きです。《泥沼化していった戦争》昭和12年暮れの南京陥落後、日本軍はさらに奥地まで進撃します。このとき、日本陸軍の参謀次長は早期の戦争終結を望みますが、肝腎の近衛文麿総理大臣が逆に強気です。そして翌1月16日、近衛さんは「国民政府を対手(あいて)にせず」との声明を発してしまうのです。これで日中戦争を終わらせることは不可能となり、次の段階として、その中国を後方から援助しているアメリカ・イギリス相手の戦争になるわけです。ここまで、だいぶ長々と本の内容を紹介してきたので、ここからははしょります。《イギリス・アメリカとの敵対》昭和14年4月、中国で「天津事件」が起きると、日本はイギリスに対して強硬に敵対します。その後とうとう、アメリカが日本に敵対する姿勢を明確にします。《日独伊三国軍事同盟》昭和15年9月、日独伊三国同盟の締結です。かつて海軍の米内光政大臣、山本五十六次官、井上成美軍務局長が身体を張って阻止した三国同盟でした。それがこのとき、近衛文麿首相のもと、及川古志郎海軍大臣は三国同盟締結を認めてしまうのです。9月15日の海軍首脳会議で及川海軍大臣「もし海軍があくまで三国同盟に反対すれば、近衛内閣は総辞職のほかはなく、海軍としては、内閣崩壊の責任は取れないから、この際は同盟条約にご賛成願いたい」伏見宮軍令部総長「ここまできたら仕方ないね」大角岑生軍事参議官「軍事参議官としては賛成である」山本五十六連合艦隊司令長官「私は大臣の統制に絶対に服従するものであるが、この条約が成立すればアメリカと衝突する危険が増大する。条約を結べば英米勢力圏の資材を失うことになるが、その不足を補うためにどういう計画変更をやられたか、この点を聞かせていただきたい。」この発言を豊田次官は完全に無視し、「いろいろご意見もありましょうが、おおかたのご意見が賛成という次第ですから」三国同盟締結と北部仏印進駐を経て、山本五十六が浜田熊雄に語って「じつに言語道断だ。・・・自分の考えでは、アメリカと戦争をするということは、ほとんど世界を相手にするつもりでなければだめだ。しかしここまできた以上は、最善を尽くして奮闘せざるを得ない。そしておれは戦艦長門の艦上で討ち死にするだろう。その間に、東京あたりは三度ぐらい丸焼けにされて、非常なみじめな目に遭うだろう。」海軍第一委員会と石川信吾大佐については、NHK「日本海軍 400時間の証言」にも書きました。《太平洋戦争開戦前夜》開戦前の日米交渉に臨むため、昭和15年末、駐米日本大使に海軍大将野村吉三郎が選ばれます。ところで、野村吉三郎は昭和14年に外務大臣に就任していました。そしてこのとき、野村さんは外務省の大改革を行ったのです。英米協調派の谷正之を次官に据え、米英強硬派を外へ転出させようとしました。親ドイツの元凶である駐独大使大島浩と駐伊大使白鳥敏夫を日本に呼び戻します。これが外務省エリートたちのものすごい反撥を招きました。このように、外務省にとって目の敵の野村さんが駐米大使になったことから、外務省はサボタージュでもってこれを迎え、日米交渉はスムーズに行かなかった、と半藤氏は語ります。野村大使とコーデル・ハル国務長官の最初の会談で、「日米諒解案」が提案され、4月に最終案がまとまりました。これを受け取った日本政府は狂喜します。松岡洋右外務大臣はモスクワ旅行中であり、外相兼任の近衛首相は大歓迎します。しかし残念なことに、近衛首相は「松岡外相が帰ってくるまで待って意見を聞こう」と言い出したのです。帰国した松岡外相はこの案を一蹴し、日米諒解案はすっ飛んでしまいました。そしてドイツが突然、ソ連に侵攻します。昭和16年7月の第1回御前会議では、南進の方針をかかげ、「本目的達成のため対英米戦を辞せず」と決定します。この頃、アメリカは本の外交暗号の解読に成功していました。従って御前会議の決定は、すでにアメリカに筒抜けだったのです。そして7月28日、日本は南部仏印進駐を開始すると、その途端、8月1日にアメリカは石油の対日輸出の全面禁止を通告しました。「えっ、まさかそこまでやってくるとは」と海軍の何人かは言ったそうです。日米諒解案なんて吹っ飛ぶと同時に、野村とハルの地道な交渉もこの瞬間に吹っ飛びます。9月2日の第2回御前会議の前。米英に対して戦争準備をすることが第一番に挙げられます。天皇は会議前、近衛首相、杉山参謀総長、永野軍令部長に対して内容を追求しますが、最後は納得して御前会議の開催を許可してしまいました。この間のいきさつは本を読んでください。《開戦の詔勅》日清、日露、第一次大戦それぞれの開戦の詔勅にはいずれも、「国際法、国際条規を守れ」との文言が入っています。それに対して今回の開戦の詔勅にはその文言が入っていません。マレー半島上陸作戦において、どうしても中立国のタイ領土に侵入する必要があり、そこで国際法違反を最初から承知していたからです。「このことは後に、意識の上でまことに大きな問題を残すことになります。」《日本の家屋は木と紙だ》カーチス・ルメイ中将がマリアナ方面の指揮官に赴任すると、夜間低空飛行による焼夷弾攻撃を立案します。3月10日の東京大空襲が皮切りとなりました。著者の半藤氏もこの空襲で死にかけたといいます。日本政府は戦後、ルメイに勲章を授与したと最近知人から教わりましたが、この本にも「勲一等の勲章を差し上げました」と書かれています。《原子爆弾とポツダム宣言の「黙殺」》7月26日にポツダム宣言が発せられると、天皇は「これで戦争をやめる見通しがついたわけだね。」と東郷外相に告げます。ところが日本政府はソ連仲介の以来の返事を待っているところだったので、とりあえずは無視しようということになりました。そして新聞にはできるだけ小さく発表しようとしましたが、新聞社は独自に解釈して戦意高揚をはかる強気の言葉を並べてしまいます。軍もいい気になって「完全無視」の声明を出すように政府をせっつき、仕方なく鈴木貫太郎首相は28日「ただ黙殺するだけ」と会見で述べてしまうのです。日本への原爆投下はこの「黙殺」声明が原因といわれていますが、事実は、この前の24日にすでに投下命令が出されていたのです。アメリカのトップのほとんどの指導者たちは、日本に原爆を投下することになんらためらいませんでした。ラルフ・バード海軍次官のみが、「どうしても投下するなら前もって日本に予告すべきである」と主張し、無警告投下が決定されると自ら職を離れました。《ポツダム宣言受諾》7月8日、天皇から木戸内大臣に「なるべく速やかに戦争を終結するよう努力せよ」とのお言葉があり、鈴木首相はさっそく最高戦争指導会議を開こうとしますが、軍人たちは忙しいということで9月朝に延期することにします。そして9日の午前零時を過ぎた途端、ソ連が満州の国境線を突き破って侵入してきます。9日朝からの最高戦争指導会議、突然の御前会議、その場で首相が天皇に聖断を仰いで終戦が決定したいきさつ、などが著書に詳細に記されています。10日に中立国を通じて日本の受諾条件を通告すると、12日夜に連合軍側からの回答が伝わります。その中の"subject to"の解釈をめぐる騒動についても著書に記されています。14日朝の御前会議、再度首相から“聖断”を求められた天皇が語った言葉が掲げられています。《降伏することの難しさ》8月14日午後11時、日本のポツダム宣言受諾は中立国を通じて連合国に通達されました。しかしこれは「戦闘をやめる」との意思表示にすぎず、「降伏の調印」をするまでは戦争が終結したことになりません。そのことを日本政府は知らなかったらしいのです。ドイツの場合は降伏を申し出てから2日後に調印をしています。降伏の調印がなされないことを利用したのがソ連です。ソ連はそのまま満州をぐんぐん攻めてきます。この戦いで日本は戦死8万人、一般民間人が18万人死亡しました。57万人がシベリアに抑留され、10万人以上がシベリアの土の下に眠っています。日本がもっと真剣に考えるなら、直ちに満州に天皇の使者を送り、政府同士で戦闘停止の決め事をきちんとしなくてはいけなかった、というのが半藤氏の見解です。東京湾に浮かんだ戦艦ミズーリ艦上で降伏文書の調印式が行われたのは9月2日です(戦艦ミズーリ訪問参照)。結局は長い記事になってしまいました。以下次号。
半藤一利「昭和史1926->1945」(2)
entry.13 [日常]虎ノ門事件みたいになってくる国母問題
当時の内閣総理大臣山本権兵衛は摂政である皇太子に即刻辞表を提出した。それを受けた皇太子は12月29日に山本を慰留したが、山本の決意は変わらず、1月7日に総辞職は認められた。また、当日の警護責任を取り、警視総監湯浅倉平と警視庁警務部長の正力松太郎が懲戒免官になっ
[日常]虎ノ門事件みたいになってくる国母問題
entry.14 半藤一利「昭和史1926->1945」
昭和史 1926-1945 (平凡社ライブラリー)半藤 一利平凡社このアイテムの詳細を見る昨年の6月に発行された本です。本屋の店頭に並んでいるのを見て買っておいたのですが、上巻のみやっと読みました。厚い本(上巻だけで540ページ)なので後回しにしていたのですが、読んでみたらとても読みやすい本でした。540ページあるとはいえ、1926年から1945年までの日本史を半藤一利氏が語るのですから、詳細に追っていったらとても足りないはずです。この時期の日本史を半藤氏は、メリハリを付け、概略のみをすっと流して語る部分、微細部分まで語る部分と語り分けています。そのような構成であるため、分厚いけれども読みやすく、一方で540ページしかないのに必要と思われる部分は詳細に理解することができる、という構造になっています。あとがきによると、この本は、戦後生まれ3人を含む4人の聴衆を前に、日本史講座として半藤氏が語った内容なのだそうです。「授業はときに張り扇の講談調、ときに落語の人情噺調と、生徒たちを飽きさせないようせいぜい努めたつもりであるが」とあり、そのような講義をまとめた本ですから、上記のような特徴を持つ本に仕上がったということのようです。話は、日露戦争が終わった後の日本と中国の状況から始まります。《張作霖爆殺事件》詳細に語られる最初の事件は張作霖爆殺事件です。時の総理大臣は田中義一氏。陸軍出身です。事件後、昭和天皇と陸軍との板挟みになり、首相は天皇から叱責を受け、総辞職をした後、すぐに亡くなってしまいます。このことから昭和天皇は、結論として、「この事件あって以来、私は内閣の上奏する所のものはたとえ自分が反対の意見を持っていても裁可を与える事に決心した」と、戦後の昭和天皇独白録に語りました。これがのちに日本があらぬ方向へ動き出す結果をもたらすのです。《統帥権干犯》「陸軍が張作霖爆殺事件で昭和4年に「沈黙の天皇」をつくりあげ、昭和をあらぬ方向へ動かしてゆくのと同時に、海軍も翌年のロンドン軍縮条約による統帥権干犯問題をきっかけに、まことに不思議なくらい頑なな、強い海軍ができあがっていく。つまり昭和はじめのこれら二つの事件によって、昭和がどういうふうに動いていくか、その方向が決まってしまったともいえるのではないでしょうか。」《満州事変》「君側の奸」「石原完爾」「柳条湖事件と満州事変勃発」「新聞が突然、関東軍擁護にまわる」などが記されます。満州国が建国された後、本来は大元帥命令なくして戦争を始めた重罪人である、本庄軍司令官は侍従武官長として天皇の側近となり男爵となります。石原完爾はまもなく参謀本部作戦部長となり出世の道を歩みました。「昭和がダメになったのは、この瞬間だというのが、私の思いであります。」《(第一次)上海事変》満州事変に対して国際社会から厳しい目が注がれる中、陸軍は上海で事件を起こし、これが事変に拡大します。このとき、上海派遣軍の司令官である白川義則大将に昭和天皇は、「国際協定を守ること」「上海から十九路軍を撃退したら決して長追いしないこと」を命じます。白川大将はこれを守り、上海から中国軍を追っ払うと同時に停戦命令を出します。参謀本部は驚いて追撃命令を出しますが、白川大将はこれを聞かず、上海事変を収めてしまいます。盧溝橋事件後の(第二次)上海事変とこれに続く南京事件の惨状を考えると、隔世の感があります。《五一五事件、満州国建国、国際連盟脱退》国際連盟脱退の際の松岡洋右全権大使は、自分では「外交の失敗」と認識していたのに日本では英雄のように扱われ、日本は排外主義的な「攘夷」思想に後押しされた国民的熱狂が始まりました。「一番大事なのは、この後から世界の情報の肝腎な部分が入ってこなくなったことです。」「この後、孤立化した日本はいよいよ軍部が支配する国となり、国民的熱狂に押されながら、戦争への道を突き進むことになるのです。」《陸軍「統制派」と「皇道派」》昭和7年、永田鉄山が参謀本部第二部長(情報)に、小畑敏四郎が参謀本部第三部長(運輸通信)となり、参謀本部で二人は席を並べます。しかし小畑と永田は性格的には水と油で、ぶつかり合うことが多くなります。その後、この二人に派閥として従う子分たちの間も喧嘩となり、「統制派(永田派)」と「皇道派(小畑派)」の分派が始まりました。この派閥抗争、一度は喧嘩両成敗になりますが、陸軍大臣が替わって永田鉄山が軍務局長として復帰すると、陸軍は「統制派」のもとで一枚岩となります。《天皇機関説問題と国体明徴の政府声明》これ以後、まず枢密院議長の一木喜徳郎氏が襲撃され、とたんに牧野伸顕内大臣は辞表を出そうとし、元老西園寺公望も政治に嫌気がさし、天皇側近の穏健自由主義者たちはどんどん腰砕けになります。残る鈴木貫太郎侍従長、斉藤実は頑張り、高橋是清蔵相も予算面で軍部にたてつきますが、彼らは皆二・二六事件で狙われることになります。《二・二六事件》この本の中で、二・二六事件については詳細です。半藤氏も思い入れがあるのでしょう。天皇が事件勃発を聞いたのは午前五時半。“鈴木貫太郎襲撃 → 鈴木貫太郎のたか夫人が宮中の甘露寺受長(おさなが)侍従に電話 → 天皇に報告”というルートで、実はたか夫人は、天皇の子どもの頃の乳母でした。このルートによる情報が、二・二六事件に対する天皇のスタンスを形成したのではないか、というのが半藤氏の推理です。午前6時過ぎ、本庄繁侍従武官長が天皇に拝謁すると、この日は朝から大元帥の軍服に身を固めて出てきます。天皇はこの事件を「内政問題ではなく軍事問題、軍の統帥の問題である」と考えたに違いない、と半藤氏は考えます。そして湯浅倉平宮内大臣、広幡忠隆侍従次長、木戸幸一内大臣秘書官庁の3人は、「岡田首相はやられたが暫定内閣は置かない」と決めます。これにより、事件の起きた数時間後にはすでに決起の「失敗」が決定していました。二・二六決起部隊は、宮城占拠を目的としていました。ところが、宮城へ向かう近衛歩兵連隊の中橋基明中尉率いる中隊が、途中に高橋是清邸があることから、「ついでに大蔵大臣もやってこい」ということで襲撃し、高橋是清を惨殺します。その後に中橋中隊は宮城に入りますが、それまで宮城を守っていた大高少尉は中橋中尉を危険視しており、中橋中尉に「すぐ出ていってもらいたい」と要求するのです。中橋中尉は大高少尉を射殺することもできたでしょうがそれをせず、宮城占拠は失敗しました。《広田内閣が残したもの》「(二・二六事件)以後の日本はテロの脅しがテコになって、ほとんどの体制が軍の思うままに動いていくことになるのです。またここで皇道派が完璧につぶれます。」「(事件後の)広田(弘毅)内閣がやったことは全部、とんでもないことばかりです。」?「軍部大臣現役武官制」これ以後、陸軍や海軍が「ノー」といえば大臣ができないから内閣が組織できない、つまり軍の思うままになります。?日本とドイツが「防共協定」を結ぶ。?陸軍の統制派と海軍の軍令部が相談し、これからの国策の基準を「北守南進」と決めます。《盧溝橋事件》事件は、盧溝橋付近で天津駐屯の第一旅団第一連隊第三大隊が演習をしている折、同じように夜間演習をしている中国軍側から数発の実弾が撃ち込まれたことから始まります。第一旅団長:河辺正三少将 → インパール作戦時の牟田口司令官の上官第一連隊長:牟田口廉也大佐 → インパール作戦の立案実行者。第三大隊長:一木清直少佐 → ガダルカナルに上陸して全滅する一木支隊の司令官になる人。《南京虐殺はあったが・・・》盧溝橋事件は(第二次)上海事変へと拡大します。ここで苦戦を極めた日本軍は、上海鎮圧では休戦せず、さらに南京へと進撃します。半藤氏はここで、石川達三が南京事件終了後の南京を取材して書いた小説「生きてゐる兵隊」と、日本陸軍省が密かにつくった「秘密文書第四○四号」について言及しています。私も「生きている兵隊 (中公文庫)」を読みました。また、上記「秘密文書第四○四号」は、このブログの加藤陽子「満州事変から日中戦争へ」(3)で紹介された「陸軍次官通牒」の出典のようです。以下次号。
半藤一利「昭和史1926->1945」
entry.15 女人天下22話亡き者の誕生日
昭格署の撤廃を巡って対立が続く朝廷では、撤廃を訴える諫官が総辞職を願い出るが、中宗は諫官を交替させても撤廃はしないと言い放つ。そんな時、ひょんなことから占い師のパン・ベギンに四柱推命を見てもらったナンジョンは、自分の生年月日が死者のものだと Author:武田代表四柱推命家。四柱推命有料鑑定希望の方はM&Lコンサルティングまでどうぞ。四柱推命をされてる方からの、命式解釈がメインの鑑定依頼は固くお断り致します。悩みを抱えた方の為の鑑定を致しております。お問い合わせはM&Lコン...
女人天下22話亡き者の誕生日
entry.16 【剛腕の実像 小沢氏不起訴】(上)「秘書が…」 18年前から続くデジャブ(産経新聞)
「2人で語り合った政権交代の夢を目前に、この世を去っていく運命ほど、残酷なことはない…」 平成18年9月8日夕、横浜市内にある古刹(こさつ)に男泣きが響いた。そばを流れ、参拝する人の心を癒やしてきた「菊池(くくち)の滝」のように、その双眸(そうぼう)から涙があふれた。 遺影を見つめ、声を詰まらせながら、途切れ途切れに弔辞を読み上げたのは、民主党代表(当時)の小沢一郎。旧新進、自由党の事務局長などを歴任し、四半世紀にわたって、政治活動をともにしてきた八尋護(やひろ・まもる)の葬儀で、葬儀委員長を務めたときの出来事だった。 小沢が「オヤジ」と慕った元首相、田中角栄の派閥「木曜クラブ」。その裏方を任されていたのが八尋だった。当時、すでに頭角を現していた小沢に魅せられた八尋は、政界再編の鍵を握り、政党の破壊と創成を繰り返した小沢をそばで支え続けた。その姿は永田町で「忠臣」「金庫番」とささやかれた。 しかし、小沢の言動はときに、こうした「忠臣」にとっては、冷酷に聞こえるものだったといえる。 ≪“持論”繰り返し≫ 「すべて担当秘書が行っており、私はまったく関与していません」「担当秘書には政治団体の収支についてはきちんと管理し、報告するように言っていましたが、担当秘書を信頼し、実務については一切任せておりました」 1月23日夜、東京・紀尾井町のホテルニューオータニ。小沢は東京地検特捜部の初聴取後の会見でこう説明した。ややかすれた声は、刑事告発された被疑者(容疑者)として受けた聴取の疲れを感じさせた。 デジャブ(既視感)。その場にいた多くの記者の頭をよぎったのは、約10カ月前の小沢の姿だった。 昨年3月3日、特捜部は西松建設の違法献金事件で公設第1秘書の大久保隆規(48)を逮捕した。その翌日、小沢は会見でこう語った。 「政治家は一人で政治活動を全部やることは困難です。秘書を信頼してやる以外に不可能なことで、全体の報告を了としているが、個別のものに目を通す時間的、能力的余裕はない」 政治資金に絡んだ事件での捜査は、秘書ら事務方の責任追及で終わる−。それが小沢の持論なのか。もう一人の「オヤジ」と慕った自民党元副総裁、金丸信の政治資金規正法違反事件でも、この“持論”が行動に表れていた。 ≪金丸事件と同じ≫ 東京佐川急便側から5億円のヤミ献金を受け取ったとして、金丸が平成4年、特捜部に略式起訴された事件。金丸は容疑を認める上申書を提出したが、小沢は徹底抗戦を唱えていた。 後に、小沢は「みんなして、こんな捜査のやり方はおかしいといえば、金丸さんはああいうことにならなかった。事件は会計責任者の処分ですべて終わったんです」(『小沢一郎 政権奪取論』)と語っている。 小沢は「金丸事件」後に政治資金規正法の改正に携わっており、同法を熟知していたことがこの言葉ににじみ出ている。 そんな小沢は1月31日、特捜部の2度目の聴取で、平成17年春に小沢と資金管理団体「陸山会」の間で資金移動があった4億円について、関連政治団体「改革フォーラム21」の会計責任者を務めていた八尋から預かり、八尋に返したと説明した。 八尋は15年に民主、自由党が合併した後、病床に伏せていた。小沢が八尋とともに夢見た政権交代を成し遂げた後、露見した疑惑、そして、釈明。草葉の陰で、八尋はこの言葉をどう聞いたのだろうか。(敬称略) ◇ 嫌疑不十分で不起訴処分となった民主党の小沢一郎幹事長。陸山会の土地取引をめぐる事件で刑事告発を受ける身となり、改めて小沢氏の人物像や手法が浮き彫りになった。事件を通じて明らかになった「剛腕の実像」を振り返る。・ <首都圏連続不審死>静かな人、ネットで能弁…木嶋容疑者(毎日新聞)・ 拳銃1丁と実弾97発所持=容疑で暴力団会長ら逮捕−警視庁(時事通信)・ <普天間移設>総辞職覚悟で選定を 民主・海江田氏(毎日新聞)・ 地下鉄エスカレーターで転倒、数十人折り重なる(読売新聞)・ 首相、「公費」で参院選応援? 地方視察に批判の声(産経新聞)
【剛腕の実像 小沢氏不起訴】(上)「秘書が…」 18年前から続くデジャブ(産経新聞)
entry.17 小沢事件の本質は、何度も繰り返されてきた「検察VS政治」の権力の戦い
今の検察は腐敗しているなぜ私がそう断言するかというと、検察の裏金問題の経緯をつぶさに見てきたからです。検察は長年、「調査活動費」の名目で年間数億円の裏金をつくり、幹部の交際費にあててきた。それは紛れもない事実です。本来なら幹部が総辞職し、使った裏金を返還すべきです。ところが法務・検察は裏金づくりを否定し、02年4月、それを内部告発していた大阪高検の三井環・公安部長を口封じ逮捕しました。これほどひど
小沢事件の本質は、何度も繰り返されてきた「検察VS政治」の権力の戦い
entry.18 相撲は礼節あるスポーツである・・この嘘をまず捨てなさい!!
国内政治全般 日本相撲協会は自浄能力が無い 2010/ 1/31 19:07 [ No.88168 sousyunfu01 日本の伝統的な相撲は礼節あるスポーツである、何回も汚れたニュースを作り出す、今の理事長はその所の管理が甘い、貴乃花が出て良くなるのか一向に自浄する気配もない、理事は総辞職すべし民間や識者が理事を務め日本の礼節を取り戻すのだ。 柳 四郎相撲は礼節あるスポーツである・・この嘘をまず捨てなさい!!スポーツじ
相撲は礼節あるスポーツである・・この嘘をまず捨てなさい!!
entry.19 ■開業つれづれ:「循環器科医師全員が辞職 鳴門病院」
えーと、また総辞職、っと?理由は、>救急患者の受け入れが減ったことに不満…?え?循環器科医師全員が辞職 鳴門病院2010年2月4日 読売新聞http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokushima/news/20100203-OYT8T01340.htm 鳴門市撫養町の健康保険鳴門病院(増田和彦院長)で、循環器科の医師4人全員が3月末で辞職することがわかった。病院は後任を探しているが、医師不足の影響でまだ決まっていない。同科は1日平均の外来患者数
■開業つれづれ:「循環器科医師全員が辞職 鳴門病院」
entry.20 2月3日(水)結果
2月3日(水)本日の結果です。ちょびっと当たるようになってきましたぞ。 ・4戦3勝(4レース中3レース的中) ・投資金額 1,500円 ・回収金額 1,650円 的中率 75%(レース的中率75%) 回収率 111% ※回収率は実際の投資金額・回収金額に基づいて算出しています。 ・2月の総利益 −1,540円 1、びわこ4レース !)拡連複 1=2……500円 的中・110円 払戻し・550円 2、多摩川7レ
2月3日(水)結果
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